「暇」の扱い方を考える。|占い 和音堂
どうも、【占い 和音堂】です。
お題「暇な時になにをしますか?」
ちょっと「暇」について考えてみます。
まず、
「暇」とは?
Wikipediaによれば、
余った時間。することが無い状態。
語源はギリシア語の「スコレー」(σχολή)。
スクールの語源でもあるらしい。
ただスコレーはすることがないというより、精神活動や自己充実にあてる余暇時間といった積極的な意味が強かったみたいです。
「暇」の扱い方
人間忙しい時があるからこそ「暇」を享受出来て、暇が常態化すれば「退屈」に変化していきます。普段「暇」が欲しいのに、続けば「退屈」。大事なのは良き塩梅。
「暇」を使って仕事を進めようと思えば「暇」は壊れてなくなります。
一番美しく「暇」を保って遊びたいところ。
個人的な答えとして、
「人生に必要のないもので満たす」のが「暇」の正しい使い方かなと思います。
きっと文化的なことです。
本を読まなくても人は死にません。
映画を観なくても。音楽を聴かなくても。
でも心が豊かになります。語彙が豊富になります。
他人の立場が理解出来たり、言葉にしきれない鳥肌を覚えたり。
ただ寝転がって空を眺めるとか、街の音を聞くとか、そんなのもありですね。
そう考えると子供は「暇」の達人です。
子供の方が大人より「分かっている」ことがありますが、そんな「暇」の扱い方が上手いせいなのかもしれません。
「暇」の扱い方で変わる世界の見え方
あらゆる学問や文化を、私はそれぞれ「世界の解釈の仕方」だと考えています。
「世界」を数字で捉えたり、言葉で捉えたり、芸術として捉えたり。
何かを勉強すると世界は変わって見えます。
例えば、赤ちゃんは言語を知る前、全てを「世界」と捉えています。
成長するにつれて言葉を覚えると、「パパ」や「ママ」、「そら」「じめん」「はな」など、言葉と共に細分化して認識していきます。
大人も同様に、学んだことで見え方が変わります。
「哲学」を学んだ人から見た世界、「音楽」を学んだ人から見た世界。
はたまた「映画」を好む人、「文学」を好む人でも世界の解釈は異なるでしょう。
「暇」、人生になくても生きていけるものをどう扱ったかで、世界の解釈は大きく変わります。そして解釈の仕方が多ければ、それだけ視野も広がります。他者への理解もしやすくなります。
まとめ
世界は生きるのに必要ないもので溢れています。
しかしそんな必要ないものからの学びが、世界の解釈に広がりや深みももたらします。
それが「生きる」のに必要がないだけで「生き抜く」のには便利だったりします。
より豊かに生き抜く為にも「暇」を楽しみましょう。
良い週末、ゴールデンウィークを。
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